プロフィール

9512taitao

Author:9512taitao
[ 山下俊行 ]

1969年生まれ。

【 Vital Energy Body Work 山下道場 】代表


Vital Energy Body Workとは、
ヨーガ・気功・武術・整体手技などを
研究・実践、整理を重ね、
 
とかくバラバラになりがちな

こころ と からだ をより良くまとめられるよう、

東洋の叡智を結集した身体と心の技術体系です。


からだ の状態をもって こころ の状態を導く


中国気功養生の緻密な内観(観察と集中)をベースに、
身体操作・ヨーガや整体・現代型ストレッチなどをとりいれたレッスン内容です。

 
リラクゼーション主体の癒やし効果だけではなく、


循環機能するための、ゆるみとしまりのバランス良い関係

「内から溢れるしなやかな強さ…生命根源の力が高まる」


これが主なセッションの目的となります。


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DATE: CATEGORY:所感
「夏越の祓 なごしのはらえ」旧暦の祓いはまだ先ですが、
それが新暦だろうとなんだろうと、時代の推移と人の意識でここまで来た以上、
それはそれで大変意義ある行為です。
 
たとえば参拝作法において、
古い社格の神社によっては柏手かしわでを打つ数が違ったりするものです。

 
 
それが伝統だの正統だの、
四であろうが、三であろうが、たとえ一であろうが関係ない。
 
大事なのはその行為に一点、心と体を集中して、
毎回、毎瞬、新たに人間精神の統合をはかることです。
 
 
人の関心が高まるのは悪いことではありませんが、
よく言われる諸外国による陰謀、封殺論など、
被害妄想や野次馬根性で認識の浅い者がピーチクぱーちく
降ろしたての借り物の知識で論じてないで、
 
そんなものは、
そういった研究が好きな諸先生方に任せておけばよろしいことです。
 

それと最近やたらと〝こう表しておけばいい〟という
言葉あそびが目立ちます。
大体、本人のコンプレックスが、
安直なただの「スタイル」と化しているものがほとんどです。
 
 
たとえばなんだ、〝氣〟という文字か。
 
現代中国では簡体字で「气」とも表しますが、
 
「気」の作用を熟知している私のような専門家が使うならまだしも、
今ここに生きている以上、
わざわざ旧字体を引っ張りだすことがどこにあろうか。
 
明治生まれの方が「氣」や「眞」を使うのは自然なことですが、
それ以降の世代が〝やる氣は誰にも負けません〟とか、
わざわざ旧体字である「氣」を履歴書とかに書くのは愚かの極みです。
 

気合いを氣愛とか、がんばれを顔晴れとか、出会いを出愛だなんだと、
いったいなんのバカ騒ぎかね。
 
夜露死苦のセンスのなさと変わらんぞ。
 
 
気ぜわしい現代だからこそ、沈黙や「間 ま」を大事にして、
もう少し言葉とその内在するエネルギーを大切にしていただきたい。


大切なのは何の行為においても一点集約して
気持ちを取りまとめる心がけであり、
 
実利、作用なんて結果は実にあとのことです。
 

そういったことも踏まえた上で、以下。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


『 祓(はらえ)とはなにか 』


本日は「夏越の祓 なごしのはらえ」ですね。
 
神社で茅の輪くぐりを行い、年が明けてから
 
半年間の罪や穢れ(けがれ)を落とす行事です。
 

 
神社やその祭事というものは、
現代ではその意味・由来が
あまり伝わりにくくなっておりますが、
私たち日本人の根っこの部分で
 
「深く結びついている」ものです。
 
 
 
この「結ぶ」という想いと行為が、
 
生命を切ったり 叩いたりではない、
私たち日本人のDNAにしっかり刻まれていること。

 
 
つながりとは 結び合わせることです。

 

この「結ぶ」ということ・・
 
 
 
もちろん秩序だった社会形成とともに必要なプロセスを
この国は歩んできたと思いますが、

鉄器が伝わる以前の古(いにしえ)の日本、
 
 
切ることなく 叩くことなく、

 
結んだり 縛ったりする文化…
 
 
このところに私たち日本人総体としての源流、
 
精神風土の基盤があるように感じます。

 
 
神直日 大直日 かむなほひ おおなほひ

 
…曲がったものを直す。
悪い神を改心して引き上げる、
 
滅するのではない。
殺すことはない。その寛容さ。

 
 
今日はほとんどの神社で、
夏越の大祓(なごしのおおはらへ)がありましょう。

 
 
 
祓(はらへ)とは何か。

単に「祓 はらえ」とした場合、
 
これは個人の禊ぎ(みそぎ)を指します。

 

「大祓(おおはらへ)」…
 
これは“公”、
 
社会全体を祓うことです。

 

祓 はらえ = 罪を祓う(はらう)

禊ぎ みそぎ = けがれを祓う(はらう)

 

この“けがれ”とは、気枯れ…
 
「氣」の低下・生命力の低下を指します。

 

ですから「祓 はらへ」とは、

低下したその精神・生命体のエネルギーを
呼び起こす行為なのです。

 
 
神道の死生観には、
 
今ここを生きるとする「中今 なかいま」の精神が、
 
その中心を垂直性のエネルギーで持って
 
この国に流れています。
 

この天地に連なる垂直性のエネルギー・・
 
神さまのことをひと柱、ふた柱など、
 
 
「柱 はしら」として数えます。
 

 
最近では希薄ですが、
親父でしたら、
一家の大黒柱と呼んだものですね(笑)
 

 
この、
 
人も、
 
天と地のはざまにおいて
 
 
「柱 はしら」のように
 
自立して「立つ」・・
 

 
この意識は「神なるもの」と繋がることにおいて、
 
とても大きいことだと感じます。
 

 
事実を事実として受けとめ、
そういった神々おわす国土の上、
 
積み重ねてきた歴史事実の上に
 
私たちは存在できていること。

 
 
そして正しく知ることは、想いや祈りの力となり、

わたしたちひとりひとりの行動に
 
「たましい」が宿ります。

 

神道(しんとう)とは「魂振り たまふり」…
 
たましいの振動数を上げる道行きです。

 
 
また神道…かむながらとは源流を辿ると
 
アニミズム…自然崇拝です。
 
 
 
バランスに注意ですが、
あまり あぁしなさい こうしなさいというような、
教義・教典というものがありません。

 

なんでも鵜呑みにしないで、

ご自分なりに感じ考える感性が大切となってきます。
 

 
そっと身の内に耳を澄ませば聴こえてくる、
私たちのDNA…
 
何か非常時にパニクっても、
度を越した集団的身勝手さとしては発露しない、
 
私たちの生活規範のなかにあるものです。

 

昔日のおじいちゃん・おばあちゃんの精神性などは
とても神道的なものです。

 
“お天道さまは見てるんだ、自分たちは生かされているんだ。
 
だから自分の良心に従って 生きていこう”

 

米俵②




このシンプルな“こころ掛け”の積み重ねが、
 
 
わたしたちひとりひとりの身の内に宿る
 
「神性」の発露となります。

 

 
「神」とは何も形どった人格神でなく、
 
ある意志を宿したエネルギーです。
 
「神意 しんい」といってもいい。
 
 
これが「氣」で観じる私の
 
「神」に対する見立てです。

 
自然そのものといってもいいです。

 

 
八百万(やおよろず)の神さま…
 
昔日の感性するどい人々は あらゆる事物、
 
 
山の神、海の神、
 
すべての事象に「神」や精霊の存在を感じて、
 
畏れ おそれ 敬い、
 
常に“こころ掛け”、心づけ、
 
“気”をつけて、
 
 
「丁寧に」暮らしぶりを立てておられたのだと感じます。


君背負いし
 

 
ナイアガラの滝のような(笑)
手つかずの大自然はこの国にはないかもしれませんが、
 
 
常に人と自然がつながっていた。

 

つながるためには意識づけ、心づけが大切です。

 
 
わたしたちをただ淡々と、
寛容に見つめてくれています。

 
わたしたちがどんな状況を生き、

たとえ苦しく 孤独にさいなまれることがあっても、

 
そのあなたの孤独でさえ、

静かに見つめてくれています。

 

お天道さまに恥じないように生きて参りたいですよね。

 
 
夏越の祓(なごしのはらえ)にて、
 
これを読んでくださったみなさまに
 
祝福申し上げます。
 


山下 俊行



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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

tag : 人間の可能性 心と体 身体感覚 身体操作 神道 宇宙法則 波動 個別指導

DATE: CATEGORY:所感
世の中のほとんどのトラブルは、
原因(エネルギー、心持ち含む)と結果(物質)の世界の“違い”など、
 
「境界線」を曖昧にしていることで起こっているものです。
 
いちばん大切なのは、
「その気にさせる」ことで循環が生まれるのですよね。
 

以下。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

【 学び 】


人間というものは、その振る舞いにおいて、
 
自覚がある なしは大きいことだと
 
常々、感じます。
 

 
勉強する立場でありながら、
これまで自分の修めたり経験してきたことを
聞いてもいないのにこちらに羅列して、
 
それら過去の経験と照らし合わせて参考になりましたと
(勉強になりましたではない)
感想を寄せてくださる方がおりますが、

そうした方は私の経験上、
 
きちんとした「学び」が成立しないのですよね。
 

 
 
私がもし何かを学びたいと胸に秘め、
その伝え教えていただける先生を訪ね、
指導を受けた際、

その先生を前にして、
あるいはメールで伝える上においても、
上のようなことを
一切、口に出すことはありません。

 

すでに経験してきたことと違いがないのであれば、
そして、
修めてきたことがひとつひとつ身に落ちており、
 
腑に落ちており、 
 
 
ご自分が「存在そのもので」
 
今まさに いついかなるときでも
 
そのときその場で体現できているのであれば、
 
 
誰かから
 
何かを「学ぶ」必要性などないからです。

 
 
学びが終了しているならば、
ご自分なりに学んだことを整理して、
自分発信でアウトプットしていくのが
世の中に生きる人間のつとめです。
 

 
要は知らずに取っている態度そのものを、
先に述べた自覚のある なしとして
問題にしているのです。
 
 

『 学ぶ とはなにか 』

 
以下は、内田 樹 氏のコラムです。

私も以前、自身の記事において、
何かを学ぶ上での「素直さ」について触れたことがありますが、

 
「学び」について、
 
それが正しく機能するシステムにおいて、
お互いに感じ考える上でも良い内容なので、
ご参考までにと
これを転載させていただきます。

 
 
文中にある
〝日本の子どもたちの学力の低下〟とありますが、
 
子どもは大人から、
説明や責任の取りかたや
 
物事に対する「姿勢」のすべてを感じ取ります。

 
肚(はら)決めのできない、
 
わたしたち〝おとな〟からの
態度や姿勢の影響が少なからず
あるのではないでしょうか。

 

以下は、より読みやすいように私の判断で行間・・
 
「間」を調整しております。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
学ぶ力

 
「学ぶ力」という文章を書きました。
中学二年生用の国語の教科書のために書き下ろしたものです。

本が届いて、読んでみたら、
なかなか「なるほど」と思うことが書いてあったので
(自分で言うなよな)、
ここに再録することにします。
中学二年生になったつもりで読んでね。

 

 
「学ぶ力」

日本の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。
そんなことを言われるといい気分がしないでしょう。

わたしが、中学生だとしても、
新聞記事やテレビのニュースでそのようなことを聞かされたら、
おもしろくありません。

しかし、この機会に、少しだけ気を鎮めて、
「学力が低下した」とはどういうことなのか、
考えてみましょう。
 
そもそも、低下したとされている「学力」とは、
何を指しているのでしょうか。

 
 
 
「学力って、試験の点数のことでしょう」と
答える人がたぶんほとんどだと思います。
 
ほんとうにそうでしょうか。
 
「学力」というのは「試験の点数」のことなのでしょうか。
 
わたしはそうは思いません。

 
試験の点数は数値です。
数値ならば、他の人と比べたり、
個人の経年変化をみるうえでは参考になります。

でも、学力とは
そのような数値だけでとらえるものではありません。

 
 
 
「学力」という言葉をよく見てください。
 
訓読みをしたら「学ぶ力」になります。

 
わたしは学力を「学ぶことができる力」、
 
「学べる力」としてとらえるべきだと考えています。

 
数値として示して、他人と比較したり、
順位をつけたりするものではない。
わたしはそう思います。
 
 
 
 
例えば、ここに「消化力」が強い人がいるとしましょう。

ご飯をお腹いっぱいに詰め込んでも、
食休みもしないで、
すぐに次の活動に取りかかれる人は
間違いなく「消化力が強い」といえます。

「消化力が強いです」と人にも自慢できます。
しかし、それを点数化して
他人と比べたりしようとはしないはずです。  

 
 
 
「睡眠力」や、「自然治癒力」というものも、
同様のものだと思います。
どんなときでもベッドに潜り込んだら、
数秒で熟睡状態に入れる人は睡眠力が高いといえるでしょう。

この力は健康維持のためにもストレスを軽減するうえでも、
きわだって有用ですが、
睡眠力を他人と比較して自慢したり、
順位をつけたりすることはふつうしません。

怪我をしてもすぐに傷口がふさがってしまう
自然治癒力も生きるうえでは、
おそらく学力以上に重要な力でしょうが、
その力も他人と比較するものではありません。

 
 
わたしは「学力」も
そういう能力と同じものではないかと思うのです。

 
 
 
「学ぶ力」は他人と比べるものではなく、
個人的なものだと思います。

 
「学ぶ」ということに対して、
 
どれくらい集中し、夢中になれるか、
 
その強度や深度を評するためにこそ
 
「学力」という言葉を用いるべきではないでしょうか。

 
 
そして、
それは消化力や睡眠力と同じように、
 
「昨日の自分と比べたとき」の変化が
問題なのだと思います。

 
昨日よりも消化がいいかどうか、
 
一週間前よりも寝つきがよいかどうか、
 
一年前よりも傷の治りが早いかどうか。

その時間的変化を点検したときにはじめて、
 
 
自分の身に「何か」が起きていることがわかります。

 
 
 
もし「力」が伸びているなら、
 
それは今の生き方が正しいということですし、
 
「力」が落ちていれば、
 
それは今の生き方のどこかに問題があるということです。

 
 
人間が生きてゆくために
ほんとうに必要な「力」についての情報は、
 
他人と比較したときの優劣ではなく、
 
「昨日の自分」と比べたときの
 
「力」の変化についての情報なのです。

 
そのことをあまりに多くの人が忘れているようなので、
ここに声を大にして言っておきたいと思います。

 
 
 
自分の「力」の微細な変化まで感知されている限り、
 
わたしたちは自分の生き方の適不適を判定し、
 
修正を加えることができます。

 
「学ぶ力」も
そのような時間の中での変化のうちにおいてのみ
意味をもつ指標だと私は思います。

 
 
 
その上で「学ぶ力」とは
どういう条件で「伸びる」ものなのか、
 
それを具体的にみてみましょう。

 
 
 
「学ぶ力が伸びる」ための第一の条件は、

自分には「まだまだ学ばなければならないことがたくさんある」という
 
「学び足りなさ」の自覚があること。

 
無知の自覚といってもよい。これが第一です。

 
 
「私はもう知るべきことはみな知っているので、
これ以上学ぶことはない」と思っている人には
 
「学ぶ力」がありません。
 
こう人が、
本来の意味での「学力がない人」だとわたしは思います。

 
ものごとに興味や関心を示さず、
人の話に耳を傾けないような人は、
 
どんなに社会的な地位が高くても、
有名な人であっても「学力のない人」です。

 
 
 
第二の条件は、

教えてくれる「師(先生)」を
 
自ら見つけようとすること。

 
 
学ぶべきことがあるのはわかっているのだけれど、
だれに教わったらいいのかわからない、
という人は残念ながら「学力がない」人です。
 
いくら意欲があっても、
これができないと学びは始まりません。

 
ここでいう「師」とは、
別に学校の先生である必要はありません。

 
書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、
会ったことのない人を「師」に見立てることも可能です
(だから、会っても言葉が通じない外国の人だって、
亡くなった人だって、「師」にしていいのです)。

 
街行く人の中に、
ふとそのたたずまいに
「何か光るもの」があると思われた人を、
瞬間的に「師」に見立てて、
その人から学ぶということでも もちろん構いません。

生きて暮らしていれば、
至る所に師あり、ということになります。
 
ただし、そのためには日頃から
いつもアンテナの感度を上げて、
 
「師を求めるセンサー」を機能させていることが必要です。

 
 
 
第三の条件、

 
それは「教えてくれる人を
 
『その気』にさせること」です。

 
 
こちらには学ぶ気がある。
師には「教えるべき何か」があるとします。
条件が二つ揃いました。
 
しかし、それだけでは学びは起動しません。

 
 
もう一つ、
師が「教える気」になる必要があります。

 
 
昔から、師弟関係を描いた物語には、
必ず「入門」をめぐるエピソードがあります。

何か(武芸の奥義など)を学びたいと思っていた者が、
達人に弟子入りしようとするのですが、
「だめだ」とすげなく断られる。

 
それでもあきらめずについていって、
様々な試練の末に、
それでもどうしても教わりたいという気持ちが
 
本気であるということが伝わると、
 
「しかたがない。弟子にしてやろう」ということになる。
 
そのような話は数多くあります。

 
 
 
では、どのようにしたら人は
 
「大切なことを教えてもいい」という気になるのでしょう。

 
例えば
「先生、これだけ払うから、その分教えてください」
といって札束を積み上げるような者は、
ふつう弟子にしてもらえません。
 
師を利益誘導したり、おだてたりしてもだめです。

 
だいたい、金銭で態度が変わったり、
ちやほやされると舞い上がったりするような人間は
「師」として尊敬する気に、こちらの方がなれません。

 
 
師を教える気にさせるのは、
 
「お願いします」という弟子のまっすぐな気持ち、
 
師を見上げる真剣なまなざしだけです。

 
これはあらゆる「弟子入り物語」に共通するパターンです。
このとき、
弟子の側の才能や経験などは、問題になりません。

 
 
なまじ経験があって、
 
「わたしはこのようなことを、こういうふうな方法で習いたい」
 
というような注文を師に向かってつけるようなことをしたら、
これもやはり弟子にはしてもらえません。

 
それよりは、真っ白な状態がいい。

 
まだ何も書いてないところに、
白い紙に黒々と墨のあとを残すように、

どんなこともどんどん吸収するような、
学ぶ側の「無垢さ」、
師の教えることはなんでも吸収しますという「開放性」、

 
それが「師をその気にさせる」ための力であり、
弟子の構えです。

 
たとえ、書物の中の実際に会うことができない師に対しても、
この関係は同様です。
 
同じ本を読んでいても、
教えてもらえる人と、もらえない人がいるのです。
 
 

 

「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。

 
 
繰り返します。

 
第一に、
 
「自分は学ばなければならない」という
 
己の無知についての痛切な自覚があること。

 
 
第二に、
 
「あ、この人が私の師だ」と直感できること。

 
 
第三に、
 
その「師」を教える気にさせる
 
ひろびろとした開放性。

 
 
この三つの条件をひとことで言い表すと、
 
「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」
 
というセンテンスになります。

 
 
数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、
たったこれだけの言葉。

 
これがわたしの考える「学力」です。
 
このセンテンスを素直に、はっきりと口に出せる人は、
 
もうその段階で「学力のある人」です。

 
 
逆に、
どれほど知識があろうと、技術があろうと、
 
このひとことを口にできない人は「学力がない人」です。

 
それは英語ができないとか、
数式を知らないとか、
そういうことではありません。

 
「学びたいのです。先生、教えてください。」
 
という簡単な言葉を口にしようとしない。

 
その言葉を口にすると、
とても「損をした」ような気分になるので、
できることなら、
一生そんな台詞は言わずに済ませたい。

 
だれかにものを頼むなんて「借り」ができるみたいで嫌だ。
 
そういうふうに思う自分を
 
「プライドが高い」とか「気骨がある」と思っている。
 
 
 
それが「学力低下」という事態の本質だろうと
わたしは思っています。

 
 
自分の「学ぶ力」をどう伸ばすか、
 
その答えはもうお示ししました。
 
みなさんの健闘を祈ります。


「内田 樹の研究室」
http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php


バガボンド (2)


テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

tag : 人間の可能性 心と体 学習 学ぶ 身体感覚 身体操作 宇宙法則 個別指導 学力

DATE: CATEGORY:感性文
金鳥山①


金鳥山②


神戸六甲山系、金鳥山にて。
写真の下は断崖です・・こえ~っ(笑)
断崖の上で波動運動させていただきました。


動画☯日本の音【 あいうえお 音霊 おとだま 波動運動 】
https://www.youtube.com/watch?v=fkm0T1ZFwoY
 
 


人は変わる、気持ちひとつで。

どんな「気を持つ」かが大切であり、
どんな「気」をその身の内に宿し、
どんな「気」をその身の外にまとうかが大切なことです。

その状態たるや、すべて伝わる。

 
こうして発信する言葉ひとつ、
経営者なら自身が提供するものひとつ。

すべてダイレクトに伝わる。

 
どんなに耳聴こえのよい言葉を並べても、
本人の心と体の状態、

その揃え加減が、実に素直に言葉に、
提供するものにノル。

 
気持ちひとつで人は変わる。

刹那という、今、この瞬間においても変わるものです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


セドナではない。日本です、ここは(笑)

金鳥山③



バリ島のジャングルではない。日本です、ここは(笑)

金鳥山④




テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

tag : 人間の可能性 心と体 写真 身体感覚 身体操作 波動 宇宙法則 個別指導 金鳥山

DATE: CATEGORY:功法紹介
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☯動画 【 圧腿 ya tui あったい 】
https://www.youtube.com/watch?v=x70YxT2fYPE
 

本日の個別指導。音霊おとだま波動運動から、
予定にはなかった太極拳の基本動作まで。

上下・前後・左右。手足がどう立体的に展開しても、
すべて循環サイクルの生命原理、
その状態における発展表現であることをお伝えしながら。
 
月末には太極拳の経験者も来られるので、
脱力リラックスでもない、
二の腕や胸の張りなど筋肉の部分緊張による力でもない、
 
優劣ではなく、
こちらのボディーワークが求める運動の違いを明確にした上で、
エッセンスをお伝えしたく思っています。


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「圧腿 ya tui あったい」とは、
 
中国武術の身体づくりの基礎訓練のひとつであり、
ダイナミックストレッチに分類されるアクティブなもので、
バランス感覚の強化や、
連動した脚部の筋力トレーニングの効果をも期待できるものです。
 
私なども訓練を始めた十代のときからそうでしたが、
適当な高さのガードレールでも見つけて、
あなたがその足を乗っけ始めたら、
訓練が習慣化したと言えます(笑)



たとえば偏平足の予防には、
足指でじゃんけん運動することもおすすめなのですが、
 
「圧腿 ya tui あったい」は、
 
爪先をこちらに向けようとする訓練により、
歩く時に足の平から指先がきちんと曲がる力が身につきます。
 
季節の良いときは、
指でつまめる鼻緒のついたサンダルや、
ゴム底の下駄などをおすすめします。
 
 
近代化の蓄積のなかで、
靴に〝履かれている〟方が現代では多いですから、
 
裸足の感覚で足裏や足指の機能性、
その力を意識して取り戻されると良いでしょう。
 
人は佇まい、歩行状態を通して、
足裏から脳機能まで直結して上がってくる情報というのは、
意外に多いものです。
 

ほとんど動いていないと思っている、
末端である足先にも目を向けると
いろいろと気づきや蘇ってくる感覚があることでしょう。


たとえばあなたが経営、管理者の立場だとして、
 
事務所や現場の隅々、部下、末端にまで、
 
その目が行き届いているでしょうか?
 
 
身体の緻密な管理は、
そのまま仕事の管理にも直結する力とも成るものです。



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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

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DATE: CATEGORY:感性文
伊那谷夕景②

 
伊那谷夕景。
世界はただただ美しく、そこにある。
 
身体うちの圧力を高め、良く練ると、
包む大気のエネルギーと皮膚の境目が無くなる。
 

わたしたちは毎回、毎瞬、
常に「新しい世界」と出会っている。
 
わたしたちの身体うちの細胞の生まれ変わりも、

同じように「新しい世界」その立ち現れです。


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自身の内と外に流れる自然なる事実と
 
その移ろい。
 
 
「生命」という新しい世界に
 
敏感となり、
 
わたしたちは新しい息吹きイブキを吹き込みたいものです。



伊那谷夕景①




テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

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DATE: CATEGORY:お知らせ
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悩み吐くなら鍬くわを持て
 
鍬くわを持つなら命もて


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DATE: CATEGORY:所感
【 熱海の夜 】

 
創業1806年。
海軍元帥 東郷平八郎、男装の麗人 川島芳子も常宿とした、
熱海の宿にて。
 
夜が静かに流れる。
 

 
以下は仕事や個人の人生においても、
貫かれる言葉です。
 

司馬遼太郎「坂の上の雲」より
 
「よき指揮官とはなんでしょうか。
あしにはそれがようわからんのです。
少将はご自分の出した命令を後悔したことはありませんか。」
 
東郷平八郎に秋山真之は問う。
 
「おいも人間じゃ。そいはおはんと同じじゃ。
悩みや苦しみと無縁ではなか。
 
じゃっどん、将たるもの、
自分の下した決断を神の如く信じらんにゃ兵は動かせん。
 
決断は一瞬じゃが、
正しい決断を求めるなら、その準備には何年、何十年とかかろう。

よか指揮官とは何か。
犠牲になった兵のためにも、よう考えてほしか。」



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tag : 人間の可能性 心と体 身体感覚 波動

DATE: CATEGORY:所感

「この世に見たいものはなかったが、あなたの顔だけは見たくなった」
いい台詞です。

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本作はシリーズとしての映画第一作目。
勧善懲悪の娯楽時代劇とは異なる世界観で描かれます。
この時代や作家個人の死生観が、
演出などに良く出ていると思う。
 

荒んだ用心棒生活のなかで胸を病み、
その余命の短さを悟る、天知茂が演じる平手造酒。
 
市の剣を〝生きるための剣〟と即座に見抜き、
「俺はその逆だ」とつぶやくシーンがいい。
 

使い手どうしというのは、
お互いの佇まい、ほんの僅かな所作だけで、
多くの情報、力量を瞬時に感じ取る。
 
この敏感さが死活問題となるからです。
 

ほんの短い間にせよ、
笑顔を浮かべて酒を酌み交わした相手との、
対決の果ての無常感に胸を打たれる。


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多くを語らない演出とともに、
勝新のように内圧を持って演じ通せる役者も武道家も、
現代はおろか、今後も出て来ないかも知れません。
 
 

裏稼業の者が境界線を間違えて、
メジャーシーンに躍り出る恥知らずさ。
 
現代は表裏に関わらず、
分別をわきまえない恥知らずな大人が目立ちますが、
 
最後、市が啖呵を切る場面が特にいい。
 

「そこの塀の向こうにァな、手前のために死んでった男たちが、
犬死にとも知らねえで、まだそのままに死骸を曝してるんだぞ。
 
何がめでたいんだっ! 何が嬉しいんだっ! 

オレたちヤクザはな、御法度の裏街道を歩く渡世なんだ。
いわば天下の嫌われ者だ。

それをてめえらは正々堂々、お天道様に大きな面ァ向けて、
大手をふって歩いてやがる。この大バカ野郎っ!」




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tag : 人間の可能性 心と体 身体操作 身体感覚

DATE: CATEGORY:個別指導

本日の個別指導。
自分の質量に全幅の信頼を持って、
ロスなく力むことなく物体は移動、加速することによってエネルギーが増大する。

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これは実際的な立ち回りに限らず、
仕事に臨んでの精神状態に同じですが、
 
なんの後ろ盾もなく、
今その場にあなたがぱっと立ったとき、
 
あなたが今できること。即座にアクションできること。
それはなにか。
瞬時の判断が要求される。
 
一定の意識圧を保ったまま、空っぽになって、
ただ打ち気を放ってみる。
 
 
頭のてっぺんから爪の先まで、
身体が総動員して、あなたの心に全面協力してくれたとき、
 
あなたの気持ちはどんな感じがするか、
 
活き活きとした力に満ちているか。
 
ただ、そのことだけを練習者は無心に楽しむ。


ここでは相手を倒すための格闘技術の習得に
重きを置いているのではない。
 
人には全身から溢れ出る、
活き活きとした「表現」が必要だ。
 
繰り出すその手の先に「生き TEL じゃんっ」という、
満ちた感覚があればいい。
 

 
☯「攅拳伸臂増気力 さんけんしんひ ぞうきりょく 」

 拳を握り、腕を張り出すと気力が充実する

 
両腕の「争力」互いに拮抗する力によって丸い張りが形成され、
これが全身に球のひろがりをもたらし、
 
同時に手の内(小指の握り)を軽く締めることによって、
センター・中丹田への集中を促すように感覚を導いてみる。
 
この感覚の導引と、下半身の充実が一体となって
「増気力」を体現できるように形成するものとなります。


☯站樁たんとう訓練を重ねた女子の一撃は重いです(笑) 
https://www.youtube.com/watch?v=2Hx_eO0VrnQ




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DATE: CATEGORY:お知らせ
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先月末の土曜日、長野県で講習会を行いました。
私の教授形態はエッセンスを着実にお伝えできる、
少人数からなる個別指導・パーソナルコーチングが中心ですが、
 
会員に限らず、一般の方にも広く体験していただこうと、
今年は毎月一回のスタンスで講習会を開いております。
 
 

当日おこなった内容は、
基本の、心身の状態を調える「站椿たんとう」、
 
シンプルな型ながら、
筋骨格レベルから気血のエネルギー調整まで網羅する「内功八段錦ないこうはちだんきん」に加えて、
今回は弟子のリクエストもあり、
 
音響経絡けいらくケア「六字訣ろくじけつ」もお伝しました。
 
 
これは紀元前から行われていた記録のある呼吸法で、
発生を伴う呼吸で内臓機能の調整をはかるものです。
 
先人のたゆまぬ自然観察と、
自然の法則に基づいた陰陽五行説に沿っていて、
季節ごとに発声の音が存在する呼吸法です。



今回は開放感いっぱいに広がる「夏の音」をチョイス。
 
☯「字訣じけつ」関連記事
http://9512taitao.blog.fc2.com/blog-entry-560.html
 

さらに日本の音である、
「あいうえお音霊おとだま波動運動」を。
 
 
「六字訣ろくじけつ」もそうですが、
 
神社の神主の祝詞のりと、お寺のお坊さんのお経も同様、
こうした発声バイブレーションは、
オーラ体など含む、わたしたちの見えない身体を
クリアにしていく呼吸振動でもあります。
 
ただ、漠然と唱えることなく、
本人がどのような「意識圧」で臨んでいるか、
その辺りが大切なポイントとなります。
 

☯「音霊おとだま」関連記事
http://9512taitao.blog.fc2.com/blog-entry-561.html

 

 
聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥、と申しますが、
 
人はただ、いたずらに聞けば良いというものではありませんね。

当日の質疑応答で感心したものがあります。
 
この方はフラダンスも練習されているのですが、
 
「八段錦はちだんきんのポーズを
どのくらい時間をかけたら良いですか?」
 
私はシンプルに、
気持ちが良かったら「好きなだけ」とお応えしたのですが(笑)、
 
「先生の動画を見ながら一緒に練習しているのですが、
動画では割と先生、さささっと済ませてますので」
 

動画はあくまで紹介のためであり、
型の一連の流れを見せるために、ささっと演舞しています。
 
動画はエネルギー状態まで観ているような方は稀ですし(笑)、
本人は気持ち良くても、
一般の視聴者は彫像のようにいつまでも動かないものは飽きてしまいます(笑)

その辺りはこちらも配慮するところです。


☯関連動画【 森のボディーワーク 練習に当たっての質疑応答 】
https://www.youtube.com/watch?v=2FSQJZGJOsk
 
 

上のような質問は、学ぶ側も伝える側も
お互いに循環する、とてもクリエイティブな関係を築けます。

なぜなら普段ちゃんと練習していなければ、
本人の中から出てこない質問内容だからです。


講習会、セミナーの参加者のなかには、
矢継ぎ早にただ質問を繰り返す質問魔がおりますが(笑)、
 
そういった方は、身体の感覚よりも思考の方が強くて、
 
「わからないことが不安」という、心の起こりで投げかけているのですが、
 
その不安は、
本人がとにかく実践し続ける以外になくなることはありません。
 

科学者が絶えず実験・検証を重ねるように、
 
「真理」というものは頭ひとつで勉強するものではなく、
 
きわめて実践的なものなのです。
 

 
インスピレーション・啓示とは、
 
仕事でもなんでも、とにかく実行しているときにしか、
 
直観として訪れることはありません。
 

 
「不安だから聞く」という心の起こりを抱えている方は、
 
答えを聞いて安心するというところだけで
ほとんどが落ち着いちゃうんです。

で、聞く方も答える方も、お互いに循環しない、
成長・発展をしない状態と成るわけです。

 

ある程度、本人が練習・実践をしたなかで、
質問というものを まな板にのせるなら、
 
その質問内容から更に発展したものを
こちらもお伝えすることができます。
 

これがお互いに循環する、クリエイティブな関係と言えます。
 

 
「上体は脱力? 力を抜けばいんですか?」
 

こちらの伝える運動上、大切にしているのは、
まずどのような状態においても、
 
構造としての安定性があるか。
 

それは家屋に同じであり、
しっかりした建物は、構造としての安定性があるから、
 
雨風をしのげて、
地表足元の変化にも柔軟に対応できる
波乗りのような動態バランスである、免震効果も働くわけです。


◎勉強会のお知らせです(会員・講習体験者に限ります)
 
今月は6月13日(月)13:30~
 
7月からは第2土曜日
 
13:30~14:30 の時間枠で行います。

普段、練習されていての疑問点や質問、
行いたい練習内容のリクエストなど、
生命運動の訓練感覚を
みなさんと一緒にシェアするのが目的です。
 
テーマをひとつか、ふたつに絞ったライトな感覚の
一時間ほどの勉強会です。


※ 講習会や個別指導など、お問い合わせは

案内人:山口 info@koshizu.com

又は下記URLから入力ください。

https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=ylTfJqOhJqOs


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DATE: CATEGORY:功法紹介
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本日は旧暦・二十四節気によると、「芒種 ぼうしゅ」
 
麦や稲など、穂の出る植物の種を蒔くころのことです。
 

そして古来よりの七十二もの季節のとらえかた・・
七十二候では、
 
「蟷螂生ず かまきりしょうず」
 

稲や野菜には手をつけず、
害虫をとらえてくれる益虫とされていますが、
 
それはあくまで人間の都合(笑)
 
 
かまきりには かまきりの
 
伸び伸びとした、人生ならぬ虫生があります。
 

『 おれの こころも かまも
 
どきどきするほど
 
ひかってるぜ 』
 
工藤直子「おれはかまきり」より



 
で、蟷螂(とうろう)といえば、
 
私としては蟷螂拳(笑)
 

☯【 Mantis Kung - Fu 】
https://www.youtube.com/watch?v=iNg5VsKHNkM

 

 
「蟷螂拳 とうろうけん」
 
中国は山東省の王郎(おうろう)という人が、
それまでの少林拳をベースに、
蟷螂(カマキリ)が素早く獲物をとらえる様を観て、
編み出したとされる武術ですが、
 
はるか昔のことであり、
実際の起源のほどは定かではありません。
 

起源はさておき、
実際の実技運用においては
 
近接及び中間距離・・・
ショートレンジとミドルレンジの攻防において、
緻密で細かく、速い手技を得意とする拳法です。


特徴的な、手首から指先までを かぎ型にした
 
「蟷螂手 とうろうしゅ」という手の形ですが、
 
これはいわゆる構えではなく、
相手の腕をその関節構造においてロックして固めるなど、
実際の攻防のなかのひとつの過程が
特徴的に「型」において現れたものです。

 
 
手技と足技の上下のコンビネーションが
バランス良い拳法であり、
 
攻防中、上半身の動きに相手が気を取られ、
死角となりやすい足元へ向けて、
手技と同時に足払いなども多用する武術です。
 

起源にほど近い中国は山東省、
山東人は長身の方が多く、
容易に ふところに入らせないような工夫であるとか。

広い中国大陸ですから、
武術においても地方によって、
その土地気質にあった形成がされるのは
自然なことなのでしょうね。


一発にドーンっと質量を込めて打ち込む
マグナム拳法の八極拳(はっきょくけん)に対して、

蟷螂拳(とうろうけん)は快速に、
雨あられのごとく繰り出す
マシンガン拳法といったところでしょうか。
 
 
どんな分野でも練習者の功夫(実力)によりますが、
もちろん速いからといって、
繰り出すその手足が軽いわけではありません。
 
全身協調とした動きの質は身体のどこが触れても、
写真や動画で見た感じよりも、
実際に触れた相手は、その手足が重く感じるものです。

 
今回は七十二候にからめた、
そんな中国の伝統拳術、蟷螂拳の紹介でありました。
 

「蟷螂拳」
http://ja.wikipedia.org/wiki/蟷螂拳



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水鏡



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DATE: CATEGORY:功法紹介
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【 関連動画 】
https://www.youtube.com/watch?v=fkm0T1ZFwoY
 


伝統のものも新しいものも統合した「Vital Energy Body Work」の訓練体系としては、
身体を各パーツごと、たとえば仙骨や背骨や、
肩甲下筋 けんこうかきん が、といった説明と、
 
それらを網羅した身体全体としての自然な統一感、

協調連動した身体内のまとまり・充実感をつかむ訓練と、
 
深い身体と心の理解のためには、
部分と全体両方の確認作業が必要となります。
 

 
人から、ぱっとやってみせて、と言われたら、
 
ぱっと瞬時に出来るまでに「状態」足り得ていないと、
 
その練習者の訓練の質は、
主体的に本人の「生命」が参加しているとは言えません。 

 

 
「音霊」とは、母音に込められた「自然の意志」
 
これを体現するものであり、
 
神道 しんとう でいう 「穢れ けがれ ・氣枯れ」の状態から、

人も自然も「活力・Vital Energy 」を取り戻すための、
 
在りかた と 行いかた の統合をはかるための
発声(発生)運動です。
 

 
自然と人間とは、万物を構成する元の次元・・
 
「元気」という微粒子・Energy によって成り立っています。
 
 
人が自然が「元気を取り戻す」とは、
 
この Energy 状態を調える・人とその周辺世界を調律することです。
 

私の「Vital Energy Body Work」は、
 
こういったこともワーク内容に含みます。


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Energy のなかには、
大気中に浮遊する人の意識感覚による、
古代より蓄積されて来た、想念 Energy も含みます。
 
それは古代よりの知恵とも言えるものです。


わたしたちは自分があるようでいて(自我)、
 
実は「空」からっぽの器です。
 

テレビが電波を受信しないと、画面上に何も映さないように、
何も受信しなければ、テレビという箱だけの存在になることは、
テレビも人もおよそ変わりがありません。
 
ですから普段、
どのような精神的活動・肉体的活動を
 
「空」である自身の身体に注いでいるかで、
 
その方が健全で在るかが、
 
すべての姿勢や表情に立ち現れるのです。
 

身体はその方がどのように生きて来たか、
嘘のつけない履歴書と成ります。
 

 
 
☯「 あいうえお 音霊 おとだま 波動運動」は、
 
この地球自然と人の元素は同じという感得に基づき、

わたしたちが普段、発している
母音のアイウエオの音の五大元素を活用する波動運動です。
 

いにしえの人々は、
音霊 おとだまの作用によって五臓六腑を調え、
病気にならない(氣が病まない)身体にする働きがあることを知っており、
それを体感するからこそ、歌として朗詠しておられました。
 

 
世の中には神社巡りが大好きな方が増えましたが、
 
〝なぜ惹かれるのか〟
 
「生命」の根源的なところが分かっていないと、
 
ただその土地土地の氏神・他人の墓を訪ねて、
その土地の霊性エネルギーにアンマッチな、
 
現代的な言葉つかいで
なんだかわからないことをごにゃごにゃ唱えたところで、
その土地の神さまは、???となるでしょう。
 
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「生命」の根源的な音霊 おとだま を身にまといながら、
神社などに参りますと、
今までただふらっと参拝していたときとは、
また違う感覚が呼び覚まされるでしょう。
 

 
日本というのは、
豊かな山海で成り立っている、霊的空間です。
 

音霊 おとだま というのは、
この日本で機能している神仏空間、
 
宇宙法則とつながるカギをにぎるものです。
 

つまり私たちが普段、帰属している日本の霊性・スピリチュアリティと、
仲良くなるということです。
 

良い言葉の波動を流しこんで、
 
それだけでは空っぽである自分を
 
健全、豊かに満たしましょう、と言うことです。
 

 
☯【 Vital Energy Body Work 山下道場 】
 
 
今度の6月25日(土)は、

おとだま波動運動を中心に講習会を行います。
 

※ お問い合わせは

案内人:山口 info@koshizu.com

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