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9512taitao

Author:9512taitao
[ 山下俊行 ]

1969年生まれ。

【 Vital Energy Body Work 山下道場 】代表


Vital Energy Body Workとは、
ヨーガ・気功・武術・整体手技などを
研究・実践、整理を重ね、
 
とかくバラバラになりがちな

こころ と からだ をより良くまとめられるよう、

東洋の叡智を結集した身体と心の技術体系です。


からだ の状態をもって こころ の状態を導く


中国気功養生の緻密な内観(観察と集中)をベースに、
身体操作・ヨーガや整体・現代型ストレッチなどをとりいれたレッスン内容です。

 
リラクゼーション主体の癒やし効果だけではなく、


循環機能するための、ゆるみとしまりのバランス良い関係

「内から溢れるしなやかな強さ…生命根源の力が高まる」


これが主なセッションの目的となります。


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DATE: CATEGORY:神さま
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☯本日は「庚申 こうしん」の日、
かのえ さるです。
 
現代では、また地域によっては
あまり馴染みがないでしょうから、
わたしたち先人の足跡・由来の一端として、
少しお話しをさせていただきます。
 

 
私が現在住んでいる、何百㍍もの標高差のある街、
南信州は駒ヶ根市。

 
 
一昨年の5月、
ご縁あって横浜から ここ南信州に越して参りましたが、
道々、やたらと道祖神や庚申塔などの石碑が目につき、
気になってはおりました。
 
 
この辺りは昔から・・一番盛んに行われていたのは、
おそらくは天下泰平の江戸期だと思いますが、
「庚申信仰」が色濃い土地だったようです。

 
昨年は「大御食神社 おおみけじんじゃ フットパス」という、
 
「フットパス」とは、
イギリス発祥の地域交流とウォーキングが
セットになったようなツアーですね、
その事業に関わる貴重な機会をいただきました。
 
参加者の皆さまと歩いた地域コースの道中にて、
プチガイドよろしく
道々よく見かける庚申塔(こうしんとう)の
説明をさせていただきました。

 
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☯元々の起こりは中国の道教ですが、
陰陽五行のお話しを少ししますと、
 
60日にいっぺんの(アースノーマットではない)(笑)、
庚申(こうしん)の日は、
 
この世界の五つのエレメント「木・火・土・金・水」
 
 
そのうちの金・金が重なる…
 
「金」は五臓六腑でいうと「肺・大腸系」
心理でいうと「愁い うれい・悲しみ」に相当します。
 
このキン・キンのエレメントが
ダブルで重なってガッツンガッツンして(笑)
いろいろとトラブルを生みやすい日とされていました。

 
 
これは古代中国の身体のとらえかたですが、
人間は本来、
何事もなければ120歳まで生きるとされています。
 
 
 
体のなかには「三尸 さんし」という虫が住んでいて、
この庚申の日、
 
寝ている間に体を抜け出して天界に昇り、
最高神である「天帝」に、
普段の生活ぶりをいわゆるチクるわけですね。
日本で言うと、地獄の閻魔さまにチクるわけですよ(笑)

 
で、この三尸(さんし)の虫から報告を聞きつけた「天帝」が、
“なに?そんな悪いことしてるなら、そいつの寿命を削ってやろう”…
そしてひとつ削り、ふたつ削りと、
寿命を減らされていくと信じられていたのですね。

 
 
眠ってるあいだにその虫が体の外に出ていくなら、
じゃぁ、夜通し起きてたらいいじゃん♪と(なんと安直な)(笑)、
 
寝ないで無病息災を祈ったのが庚申信仰の起こりです。

それが平安時代に当時の貴族にも伝わりました。
紫式部や清少納言も
庚申の日は眠らなかったそうです(笑)

 
 
 
平安当時は寝ないだけで拝む対象はありませんでしたが、
鎌倉・室町と時代がくだるにつれて庶民にも広がり、
 
西から東へ
 
一番の最盛期は、
世相が安定して来たおそらくは江戸の時代、
 
 
神仏習合のなか、
次第に仏教色が強くなり、
 
主に青面金剛と呼ばれる不動明王に似た仏様を、
目に見えて明らかな御本尊に見立てて
人々は拝むようになります。
 
 
そして神道(しんとう)的要素や修験、密教、
道開きの神さま・猿田彦さまを起こりとする道祖神なども加わり、
複雑にそれらが融合して、
石碑を結界のように辻かどに立てるような風習となりました。
 
 

大体、庚申の日は、
夜通し宴を催し、そのあと勤行をして、
 
それは村の衆の信仰度合いのひとつの目安でしょうが、
3年18回をやりきり、
その証しとして庚申塔という供養塔を立てたのでしょう。

 
 
 
安直云々と、
上のようにちょっとふざけては書きましたが、
 
 
 
信仰とはポーズではなく、
人々の痛切なる想いから生ずるものです。
 

 
昔の人はこの国の土地空間にマッチした
自然の流れに沿った旧暦で生きておりました。
 
それはこの国の、主に米作り・・
農耕にマッチした暦でした。
 
 
 
五穀豊穣を祈り、収穫を祝い、
その恵みを神=自然に奉げて感謝を示し、
神=自然に繋がりながら、
毎日を丁寧に生きておりました。
 

 
人は畏敬(いけい)の念を忘れるからこそ、
 
「行事」というものを制定して、
 
神=大自然への畏敬の念を忘れぬように
システム化したのです。
 
 
もちろん精神の抜けた形だけのもの、
形のむくろ・形骸化したものをとりおこなっても
天地とは繋がりません。
 
 
 
自然は大いなる恵みを もたらすと同時に、
またすべてをさらっていくものでもあります。
 
 
このFB でも毎日たくさんのおいしいものが上がっておりますが、
 
そのむかし、
作物が穫れないということがどういうことであるか、
 
あした食べるお米が底をついて、
飢饉などで それが何日、何十日と続くときもあったでしょう。
 

 
 
この伊那谷には、
川の氾濫も しょっちゅうである
暴れ天竜とも呼ばれる天竜川が流れています。
 
その天竜川を、
ときには飢えで亡くなった方の遺体が流れ行き、
そういった光景を目の当たりとしながら、
武士でなくとも この土地の人々は
 
確たる「死生観」が育っていたはずです。
 

 
庚申祭りでイベントを楽しむ反面、
そういった「死生観」も、
信仰の裏には流れていたはずです。
 

 
〝恐れを知らぬ自惚れた人は 宇宙の力を悪魔に変えた〟
 
「僕と彼女と週末に」という浜田省吾の歌ですが、

 
 
この畏れ(おそれ)・・
わたしたちが畏敬の念を忘れたことと、
 
現代まで連なる
さまざまに起きて来た社会問題とは
決して無縁ではありません。
 

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天地自然の法則を生きるとは、
なにも遠大に地球を大切にしましょうなどの、
ピーチクパーチクと
プラカード掲げた訴え運動ではありません。
 
 
普通に わたしたちの生活のなかにあるものであり、
 
たとえば「食」ひとつ、
土地のもの、旬のもの
(季節の、自然の気のサイクルにのったもの)を
有り難くいただく。
 
 
手間を惜しまず自分の手をかけ、
自身の気息を通したものを
なるたけ摂り入れる。

 

「気をはる」「気に掛ける」「気配り」をする。

 
 
生活諸事において、
このことだけに努めるだけでも、
 
わたしたちの心と体というものは
かなり変わって参ります。
 

 
今回は、そんな庚申信仰のお話しでありました。
 


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