FC2ブログ

【 相対性 と 絶対性 Relativity and absolute 】

「なんとなくクリスタル」  21055900_839763989522790_2270288637130130891_o.jpg

写真は、「なんとなくクリスタル」・・・そんな小説が昔ありましたっけ?(笑)
 
先日の不動滝での御前ワーク。
セッションを受ける方が、持ってきたクリスタルを滝の水で洗いたいというので、
その場でインスピレーションが湧き、「クリスタル站樁 たんとう」(笑)

分水勢

 
 
この世にあるものは、すべて在ると。
 
 
私はすべての事象を相対的に捉えており、
自分の活動内容を“絶対視”してはおりません。
 
今、この瞬間も様々に変化している事象のなかで、
自分の取り扱っている範囲が、
どこまでが有効で、どこまでが無効となるのか、
良く熟知しながら価値提供させていただいております。
 

 
人はよく絶対視することで、盲目的な幻想安定を求めるものです。
 
人間には良くも悪くも〝こだわる〟という性質・傾向があり、
それはまた愛すべき人間の様でもあるのですけれど・・・
 
奥深いと感じ思える真理ツールほど、
実はそこが受ける側も提供する側も落とし穴であり、
 
不確定性原理において人は絶対視をした途端、
 
 
「生命」の在りかたとしては、
 
わたしたちの生活周辺を良く観察すれば分かる水の流れ同様に、
 
絶対なるものは 淀んで 腐り果て、
 
絶対視をした途端に「生命」としては
 
「死」に向かっているのです。
 

そのことに対し感性が鈍くならないように、
 
良い意味での危機感、足元を観る、心掛けを重ねるなど、
 
「循環」し続けるためには必要となって参ることでしょう。
 

なぜなら人は、知らず〝こだわる〟という性質・傾向のなかで、
私はもちろん、実に忘れやすい生きものがかりだからです(笑)
 

次なる「再生」のための死であるならば、
 
自然サイクルの理ことわりとしてはOKですが、 

世にまかり通っているほとんどのシーンにおいては、
そうでない完全死へ向かっているケースが実に多く散見されます。
 

施術、スピリチュアル、心理学、健康食品、政治、経済、思想、宗教、科学、その他あらゆる人類文化に及ぶまで。 

この「相対的」であるという自然生命の原理が、
真のところで“腑に落ちる”体験知を重ねない限り、 

わたしたちがこれまで受けて来た分断教育、
それに伴う認識のなかで、
いくら勉強や体験を重ね(やってる感という追幻想)、
ご立派に見えるセミナーの場に足を運んだところで、 

「循環」という生命いのちの根本原理に辿り着くことは、なかなかに道遠く難しいことです。
 
 
例えば「站樁 たんとう Standing zen 」という生命運動状態を私がセッション時に説明するときに、 

「相対静止」という言葉を持って表現しますが、
 
これはすべて気忙しく、目まぐるしく動いているなかで、 

“相対的に静止しているように観える”という状態であり、 

実際にはこの世界の波動・振動、“響き”のなかで身体の外側は微動もしくは、 

身体の内側はその生命活動を続けている状態を、
リアルに観察し続けるためのエクササイズです。 

高速回転しているコマを遠くの方で観ると、
あたかも静止しているように見えますが、
実際には運動状態であることと、似たようなものです。 

忙殺のなかで、
何も起きていないように見える「間 ま」を自身の内外にセッティングすることで、
 
実は強力で、
クリエイティヴなエネルギー(生命力)が醸成されているのだという、
 
リアルな自己発見を重ねていく、
能動的・積極的に有効なエクササイズです。
 

そしてそれは「相対的」に、 

忙しい現代人だからこそ有効だという、
科学的検証・実証の積み重ねと、その姿勢であります。
 

私が説く、絶対視ではなく「相対的」に捉えるということは、そういうことなのです。
 
☯【 経営者のための 站樁 たんとう 】
http://9512taitao.blog.fc2.com/blog-entry-653.html

Zmd0rnu_KOLThMm1491028514_1491029433.jpg

 
・・・・・・・・・

【 信州・戸隠合宿フィールドワーク 】↓
http://9512taitao.blog.fc2.com/blog-entry-741.html

シャレ―戸隠③







スポンサーサイト



コメント

非公開コメント