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【 生命 いのちのゆらぎ 】

日々、生きて、
波のように常にゆらいでいるなかでの心と体のまとまり。

その状態をブレないとか、自分軸があるとか、

言葉にすると難しいですけどね。

私も自身の活動のキャッチとしてそう表現することもありますけど、

波動という生命の営みにおいて、

まったくブレナイなんてことはなくてね、私だってブレますよ(笑)

ただフラット・ニュートラルコーナーへの戻りが、
有り難いことに人さまを指導する立場上、早いだけです。

物事がスッと通るときの、人が最も素直な状態、
心身クリアな状態とはどういう状態かを、
私は深い体験知として痛切に覚えているからです。


人は多く、ブレルときというのは逆巻く感情によって支配されているときでしょうが、

「仕事」を行うというのは、
感情抜きにしたフラットな状態をメイン回路にして推し進めることが理想的です。

私は自身の一般講座やプライベートセッション・個人指導において、
人の逆巻く感情、その状態を、
よく目の前のペットボトルの水に たとえます。

 
ペットボトルを激しくふります。
 
どんなに激しくふったところで、いずれは

 
「明鏡止水 めいきょうしすい」

 
ペットボトルのなかの水の揺れはいずれ落ち着いて参ります。
 
 
 
感情というのは物事に対する、ひとつの反応回路のようなものです。
 
わたしたちはこの人生を生きている限り、
反応しないと人はロボトミーのように無感動・無感情になりますよね。

ですから起きてくる感情を否定しなくてもいいんです。



起きてくる感情と、フラットな状態の違いコントラストを
はっきり認識、覚えていて、
そして理知的に捉えられているのがプロの状態です。

ノリで「仕事」するんじゃないということですね。

もちろんときにはノリも必要ですけど。面白くないからね(笑)
ただノリだけでは「仕事」という営みは成り立たないということです。


起きてくる感情そのものを否定しなくともいい。

問題なのは、その逆巻く感情にまみれている状態を
 
わたしたちはいつしか、それがほんとの自分と勘違いして
 
ときには不出来だとして
 
自分を責めてしまうときがあります。

 
それはわたしたちの「本質」ではないということ。
 

何も物分かりよく、「ご立派に成ろう」とする必要なんてないんです。


かと言って、無秩序にはしたなく振る舞っても美しくない。


「つつましさ」というのは、
人の行為・行動その美点においての精神機能です。

私は循環・機能美という見立てにおいて、人も物も美しくないものは大嫌いです。



怒ったっていいんです 悲しんでいいんです

要はその「状態」に、
 
いつまでも呑まれないことです。

 
どんな修行を積んだ高僧だって反応として怒りますよ(笑)
 
ただ自身の育てた「軸」・・
 
ニュートラルコーナーに戻っていくのが早いだけです。

 
 
エゴも消えてなくなるなんてこともありません。
 
時と場合において、
そのエゴがよろしくない状況を助けてしまうのであれば、
 
エゴが起動しない「状態」に
 
身と心を置くことに達人は長けているだけです。
 

 
エゴはあって当たり前。
 
わたしたちはどこまでいっても、
 
二本の手、足、目、鼻、口、
 
人の構造として変わらぬ人間なのだから。 

 

 
逆巻く感情その様子は
打ち寄せる波 また引いていく波の状態とも似ています。 

 
人は一拍おいた「自省」するなかで、
 
あぁ、今 自分は怒っているんだ・・・、悲しんでいるんだ・・・と味わうなかで、

 
それは押し引く波のように
 
いずれ自分のなかで手放すように距離ができ、
 
そして癒しが始まるものです。



日々、生きて、
波のように常にゆらいでいるなかでの心と体のまとまり。


わたしたちはその ゆらぎと まとまり(決断などの意志力ふくめて)の
より良いバランス地点を求めて、

この目の前の日々を生きているようなものです。


☯【 Vital Energy Body Work 山下道場 】
https://vital-energy.themedia.jp/

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