2018/05/02
【 氣 flow of ki energy 】

「自然」成るものは、基本は言葉では言い尽くしがたい。
それはこの宇宙の森羅万象の思想性さえ宿し、また物理現象までをも包括した「道 TAO」であったり、
原子の熱振動とその運動エネルギーである科学表現として説明できたりと、いろいろでありましょう。
「表現」として昇華するならば、
それは文学的だったり、実利的だったり、
それもさまざま。
「氣」とは、ひたすらミクロな
この世界を構成する物質構成要素でもあり、
また物質相互転化の作用による、
不可視ではありますが確実に現象として機能している「エネルギー」という性質をも持っています。
生命体として氣をまとわないと「死」が訪れるのは、
エネルギーが枯渇し、また絶えるからです。
電気、磁気、蒸気、病気など、
われわれの生活とも密接に関わっている
物もの 事こと
ふと気づけば 氣を冠している言葉はたくさんございます。
なにげにわたしたちが氣に関して使っている言葉も、日常たくさんあるのですよね。
気に入らない、いい雰囲気、
気が向かない、気に障るなどなど。
これらはわたしたちの「気持ち」…
無為・有為による意識の作用と 氣の働きが密接であることをあらわすものです。
いわゆる「気功=気の訓練」とは
こうしたとらえがたくも「自由」であり、
状況に応じてさまざまに質的変化を続ける「氣」を、
体内外においてセンシティブに練り上げるトレーニングとも言えるものです。
とらえがたい自由であるがゆえに、
いまひとつ固定化したイメージが、社会的に定着しない側面を持って現在に至っている感じでもあります。
ただ、この世界を個人またはコミュニティの想念において紡ぐ、
絶対から成る幻想世界の確立へと陥らず、
相対世界を生きる「自由自然」へと至る“橋渡し”として、
無限の可能性を秘めているのも、
「氣」とただ一文字に、
シンプルに表現されているものの特性やも知れません。

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